はじめに確認しておきますが、「現実世界が抱える諸課題に対するアプローチ」と言っても、研究者がただちに現場に入って実務を行うという意味ではありません。現実世界の諸課題を念頭に置きながら研究を行い、地域研究を学術研究として発展させることを通じて現実世界の諸課題の解決に寄与するのが地域研究です。
ここで重要なのは、「現実世界が抱える諸課題」という対象が持つ性格のため、学術研究を行うには必ずしも理想的な状況でないことを承知の上で、その制約を乗り越える工夫をしながら研究を進めるというあり方です。
さまざまな制約の中で進められる研究である点に注目するならば、地域研究とは「特定地域のあらゆることを総合的に把握すること」ではなく、「限られた情報をもとに特定地域の全体像を探り当てること」とした方がわかりやすいかもしれません。
「必ずしも理想的な状況でない」というのは、現実世界を対象とする上でいくつかの制約が生じ得るためです。
1つはデータ収集上の制約です。学術研究である以上は適切な方法で得られたデータをもとに議論を組み立てる必要があり、地域研究ももちろん例外ではありません。ただし、現実世界を対象とする以上、必ずしも理想的なデータ収集ができるとは限りません。不完全な状態のデータしか得られず、しかもデータの取り直しが困難である場合もあります。
もう1つは時間的な制約です。研究対象が一分一秒を争う緊急事態に直面することはまれにしかありませんが、そうでないにしても、時間をどれだけかけてもいいから道具や材料を完全に揃えて万全の体制になってから取り組むというのではなく、いま利用できる道具と材料でどこまでわかるかをそのときどきで示すことが求められることもあります。
学術研究は、長い年月をかけて、相互に参照しあいながら、学問分野ごとに方法論を積み重ねてきました。地域研究も、学問分野の1つとして他の学問分野の積み重ねを尊重し、必要に応じてそれらを利用します。したがって、データが十分に得られる場合、既存の学問分野と地域研究の違いはあまり問題にならないかもしれません。ただし、収集したデータに制約があるときの対応では、既存の学問分野と地域研究で異なる可能性があります。
収集したデータに制約があるとき、既存の学問分野では、得られたデータが有効となる条件を設定した上で結論を出すことでしょう。有効となる条件が設定できない場合、そのデータは破棄して別の事例を探すかもしれません。それは、これまでに積み重ねられてきた方法論の有効性を維持するために必要なことであり、学問的な誠実さから導かれる態度だろうと思います。
これに対して地域研究では、収集したデータに制約があるとき、条件を設定した上で結論を導くことまでは同じですが、そこから言えることとそうでないことを区別した上で、その結論の意義を方向付けることがあります。ある意味では、議論や結論の方向性に研究者自身の価値観が反映されると言うことができます。このことが科学的なのかという点は別に検討するとして、これは、現実世界が抱える諸課題への取り組みという意識があるためであり、地域研究という学問分野における学問的誠実さから導かれる態度であることは確認しておきたいと思います。
地域研究が日本の大学で教えられるようになってまだ歴史が浅いため、大学や大学院で地域研究を専門に学んだ人たちのほとんどは、地域研究ではない学問的ディシプリンを身につけた先生方から地域研究を学んだことになります。したがって、一口に「地域研究」と言っても、実態はそれぞれ指導を受けた先生方の専門に沿った形での地域研究であり、その意味でそれぞれ「出身」の学問的ディシプリンを持っていることになります。
地域研究とは、それぞれの「出身」の学問分野における改良・改造の試みという側面を強く持っています。各学問分野の枠内でどのような改良・改造を試みているかは、個々の研究者の問題関心によります。そのため、それぞれの研究者による地域研究の営みは、その起点も向かう方向も互いに違ったものとなる可能性があります。それなのに、それぞれの試みの「最先端」だけつなぎ合わせて「地域研究とは何か」を語っても、話がかみ合わないだけで地域研究について語ったことにはならないでしょう。
ここで、ある学問的ディシプリンを背景に持つ想像上の地域研究者について考えます。次の図を参照してください。実線の丸は地域研究者のサークル、点線の丸は既存の学問的ディシプリンのサークルを示しています。黒い点は地域研究者です。
左端の黒点が「私」です。「私」は、ある学問的ディシプリンを背景として持ち、地域研究を行っています。そういう「私」から見たとき、自分と異なる学問的ディシプリンを背景に持つ地域研究者に対して、たとえば図に示したようないろいろな感想を抱くことがあります。
その一方で、「私」も他の地域研究者から別の感想を抱かれるかもしれません。ここで重要なのは、他の地域研究者から「私」に向けられた視線の内容は、それこそ「私」が自分の背景とする学問的ディシプリンに対して抱いていて、それを乗り越えるために地域研究を求めている可能性が高いことです。
これは、「私」がどの学問的ディシプリンを背景に持つ地域研究者でも同じように起り得ることです。地域研究者どうしが互いにこのように批判しあっても、あまり生産的な議論にはならないでしょう。かといって、すべての学問的ディシプリンを融合して1つにしてしまえばこの問題が解決するということではありません。それぞれの学問的ディシプリンを背景として地域研究に希望を求めるさまざまな人たちが、自分の抱える特長と限界を認識 して、どのように互いに接合するとよりよい形になるかを考えることに意義があります。異なる学問的ディシプリンを背景に持つ人たちが集まって方法論が議論されるからこそ、地域研究はそのような接合を可能にするのです。
特定の地域に関するディープな知識をたくさん持っていることは、私たちが考える地域研究の目指すものではありません。特定の地域で実際に観察されることからその地域の特徴を明らかにすることに加えて、そこから地域を超えて適用できる普遍性の高い法則を見つけて、ある地域から世界全体や人類全体のあり方に考えを巡らせるのが私たちの目指す地域研究のあり方です。地域の固有性の括り出しを最終目的とする地域研究を「地域だけの研究」と呼ぶならば、私たちが目指す地域研究は「地域からの研究」と呼ぶことができます。どちらも「地域研究」ですが、その向かう先はまるで違っています。
「地域研究は特定の地域しか見ない」という批判を聞くことがありますが、「地域からの研究」が目指しているのはそのような地域研究ではありません。人類学の例をとれば、特定の村の研究を通じて人類全体を研究する人類学を「村から人類への研究」とするならば、私たちが考える地域研究は「地域から世界への研究」と呼ぶことができます。これは「から」の前の言葉で名付けるか後の言葉で名付けるかの違いに過ぎず、人類学が村を語りながらも人類全体を語ろうとしているのと同じように、地域研究も地域を語りながら世界全体を語ろうとしているのです。
「世界の各地域には地域ごとの固有の文化があるのだから、もともとヨーロッパ社会をもとに組み立てられた既存の学問的ディシプリンやその学説を拒絶して、世界各地の固有の文化や論理を個々に括り出すことが地域研究の使命だ」と考える人がいるかもしれません。私たちは、地域ごとに固有の文化があることには同意見ですが、上の記述の後半部分には異なる考えを持っています。既存の学問的ディシプリンは歴史的に特定の時代の特定の地域の事例をもとに組み立てられ、そのため現代世界の諸問題に必ずしも十分に対応しきれていない部分があると思っています。しかし、私たちは既存の学問的ディシプリンを拒絶して一から論理を組み立てるのではなく、世界各地の事例を扱うことで既存の学問的ディシプリンを鍛え上げて、普遍性の高い学問的ディシプリンを生み出す共同作業に加わっていると考えています。わかりやすく言えば、「ヨーロッパ起源の論理をアジアにそのままあてはめても通用しない」と言ったとき、それに続く言葉は「だからヨーロッパ起源の論理はいらない」ではなく、「こう修正すればヨーロッパにもアジアにも当てはまる論理になる」ということです。(「ヨーロッパ」や「アジア」を1つのものと扱っているのは話をわかりやすくするためです。)
地域研究では、対象の全体を捉えることを念頭に置きながらも、常に部分しか把握できないということを意識した上で研究が進められます。これに関して、比較○○学などのように、扱う分野を限定して他の事例を比較可能になるような条件を設定しながら事例研究を積み重ねてきた学問分野もあれば、文化人類学などのように、対象の範囲を限定した上で十分なデータを収集し、それをもとに人類全体を捉えようとする積み重ねもあります。
地域研究では、これらの既存の学問分野の蓄積を踏まえて、そこからどの方向に研究を発展させたいのか、そしてその際に既存の学問分野の作法ではどのような制約を受けるのかを自覚して、その制約を乗り越える工夫をしながら研究を進めることになります。このことは、既存の学問分野を否定することではなく、既存の学問分野とどこまで重なっており、どのように接合できるかを考えることでもあります。情報学や映像メディアなどの技術の発展によって制約が乗り越えられる部分もあるだろうと思います。
データは十分に収集できたけれど、それをもとにどのように議論を組み立てて結論を出せばよいかわからないという悩む人がいます。既存の学問的ディシプリンでは、議論を通じてその学問分野で有意義だと認められた考え方の一式が学説としてまとめられており、議論の組み立てや結論の方向性を考える上で参照すべきものが存在します。
しかし、地域研究にはそのようなまとまった形での学説が明確に存在していません。この理由は、地域研究が比較的新しい学問分野であることや、地域研究者の「出身」の学問分野がそれぞれ異なっていること、そして現代社会の諸課題を研究対象とする研究が多いために学説として固まったものを取り出しにくいことなどを挙げることができるだろうと思います。もしかしたら地域研究ではそれぞれの学説の「賞味期限」が短いということかもしれませんが、いずれにしろ、これから地域研究に取り組む人たちは、これまでの研究の蓄積や実際の事例をもとに、参照すべき議論や結論の方向性を自分でまとめなければならないということです。
そのための方法として、先行研究の蓄積から先達が取り組んできた課題を読み解く方法があります。これは学問としては伝統的な方法に属します。これに対し、実際の研究対象を観察したり関わったりするなかで課題を読み解く方法もあります。あるいは、現実世界のさまざまな分野で経験を積んできた人たちと協力することは、課題を見つける上での有効な入口となるかもしれません。現実世界で課題解決に取り組んでいる実務家との連携を通じて研究上の課題と意義を見出す方法や、自然科学と人文社会科学の知見を接合することで新しい課題を発見したり新しい取り組みを生みだしたりする方法など、さまざまな方法が考えられます。
このように、地域研究には多くの方法論上の課題があります。この研究会は、これらの方法論上の課題について検討し、記述可能な形で取り出すことを目的にしています。
どの魂をどう救うかは人それぞれですが、私たちがこの研究会を企画したときに念頭にあったのは、大学や大学院で地域研究を学んでいる人たちのことでした。この研究会は、地域研究という広大な学問分野の小さな部分をカバーしているに過ぎず、いずれ次世代の地域研究者たちに受け継がれ、あるいは乗り越えられ、その際にはより包括的な地域研究方法論の研究会が組織されるものと思いますが、それまでの間、地域研究者になろうともがいている人たちの魂を救うことを念頭に置いて進めたいと思います。
この研究会は、「どのようなデータをどのような理論にあてはめれば学会で批判されたり学会誌から掲載拒否されたりしない地域研究の業績が作れるか」といった即席のテクニックの伝授を目的とするわけではありません。また、どんな研究テーマで申請書を書けば学振の特別研究員や科研費プロジェクトなどの研究助成が獲得できるかという「旬の研究テーマ」の伝授を目的とするわけでもありません(でもそういう研究テーマがあればぜひ知りたいので、もし「旬の研究テーマ」があれば教えてください)。
この研究会を通じて地域研究の業績につながる即効性のある知見が得られるかどうかはわかりません。しかし、「どうして地域研究を行うと悩んでしまうのか」という問いの答えを見つけるヒントにはなるのではないかと思います。それはおそらく地域研究というあり方と切っても切れないもので、地域研究を続ける限り付き合っていかなければならないものなのだろうと思います。
その答えがわかったからと言って悩みがなくなるわけではないだろうと思います。でも、地域研究はいろいろな場所でいろいろな方法で行うことができる学問ですし、人生経験が豊かになれば研究に深みが出てくる学問ですから、何歳から始めても決して遅すぎることはありません。ほかに気になることがあるようだったら、教育や研究のホットな現場からいったん離れて、別の形でしばらく経験値を増やしてみることが、結局は地域研究を行う上での近道なのかもしれないと思います。