二度の世界大戦を経て欧米以外の国々が国際社会の構成員となると、欧米社会では自分たちと異質な社会と政治経済的な関係を築く必要が生じ、異質な人々の文化を理解するという国家的な要請が生じました。第二次世界大戦中に米国で地域研究が盛んに進められ、このとき地域研究が「敵国研究」として発展したことは、異質な文化を理解するという国家的な要請が背景にあったことをよく示しています。
このような地域研究には、「国単位」「異質性の強調」などの特徴が見られました。そのことを踏まえているため、現在行われている地域研究は、それぞれ既存の学問分野に挑戦すると同時に、かつての「敵国研究」としての地域研究をどのように乗り越えるかという課題も背負っています。
「地域」にはさまざまなものが考えられます。日本やイギリスなどの国を指すこともあれば、東北地方や九州地方のように国内の一部を指すこともあり、また、県や市町村などさらに小さな単位も地域と見ることができます。逆に、東アジアや東南アジアなど、世界を大きくいくつかに分けた地域も考えられます。アフリカとアジアをあわせたアフロ・アジア、ヨーロッパとアジアをあわせたユーラシア、さらにそれにアフリカを加えたアフロ・ユーラシアなど、さまざまな大きさの地域を考えることもできます。
行政単位と異なる観点からも地域を考えることができます。例えば、イスラム教圏(イスラーム圏)やキリスト教圏やマレー世界などのように特定の宗教や民族が分布している地域や、気候や農作物で括った地域などが考えられます。共通の歴史的な経験を持っている地域という括り方など、さらに多くの地域を考えることもできます。
このように「地域」にはさまざまなものがありますが、それらに共通して地域研究で常に問われるのは、ある地域を調査研究の対象としたとき、「なぜそれを「地域」として設定するのか」という問いです。地域の捉え方がさまざまであるために、自分はなぜある地域を「地域」と捉えるのかを明らかにする必要があるのです。別の見方をすれば、それを1つの地域と見ることで何が見えてくるのかを自問することから地域研究が始まるのです。
例えば、地質や植生がわからないと地域研究が始まらないという考え方があります。また、人は食べないと生きていけないのだから、まず人々が何を食べているのか、食べ物がどのように作られているのかを見るところから地域研究が始まるという考え方もあります。その土地の歴史がわからなければその地域について語ることはできないという考え方もあります。調査の方法についても、現地体験が不可欠であるとする考え方もあれば、文献資料による調査がなければ地域を理解できないという考え方もあります。専門が異なる複数の研究者が1つの地域に入って共同で調査研究するのが地域研究だという考え方もあります。さらに地域の区切り方についても、例えばフィリピン研究やタイ研究のような一国研究があり、それに対して東南アジア地域全体を研究対象とすべきだという主張もあれば、さらにそれに対してなぜ「東南アジア」でなければならないのかという批判もあります。
これらはいずれも、「地域とは何か、それをどう把握するのか」を大まじめに考えたからこそ出てきた違いであると言えます。
これに対して地域研究では、理論と現実の食い違いを解決するための道を、地域の現実の中に、あるいは地域との関わりの中に見出そうとしてきました。「あるべき姿」を想定して、それが実現していないことを嘲ったり嘆いたりするのではなく、現実がどうなっているかを明らかにして、そこにどのような意味が見出せるかを考えようとするのが地域研究の態度です。
これを現地体験に照らして言えば、従来の自分たちの「常識」では思考や行動が予測できない多様な人々と関わり、一緒にものごとを進めていく中で、一方で相手に合わせながらも他方で自分らしさを考えていかなければならないということになります。
話はそれますが、地域研究者どうしの間でも同じことが言えます。上で書いたように地域研究のスタイルは多様なので、地域研究者たちが集まると、自分の考える地域研究と異なるスタイルの地域研究者に出会うことがよくあります。しかし、他人の研究のスタイルが自分の考える地域研究のスタイルと異なるという理由だけで「それは地域研究ではない」と言う人がいるとしたら、そのような態度はここで言う地域研究者から最も遠いあり方ということになります。