東日本大震災の発生以前の日本社会にはどのような課題があったのか。大小さまざまな課題があったが、たとえば米軍基地の移転問題や外国人からの献金問題などが問題とされていた。これらは、日本が近隣諸国とどのような関係を結ぶのかということに関する課題が、国と国との関係だけでなく、国内の人々の間の関係としても現れていたものだと言える。また、震災を契機とする原子力発電所の事故は日本のエネルギー事情に関する問題を明らかにした。このことは、日本国内に住む私たちの暮らし方を問い直すとともに、国際社会の中の日本の位置づけを問い直すものでもある。
このように、震災後の日本の復興を考える上では、国内のことだけを見ていては十分ではなく、日本を世界にどう位置づけるかについても考えることが欠かせない。したがって、たとえば中東情勢や日中・日露関係を考えることは、3.11後の日本の復興を考える上で無関係のことではない。
スマトラの経験から何を引き出すことができるのか。スマトラ沖地震津波では、インドネシアからの分離独立を掲げる勢力が30年にわたって分離独立のための武装闘争を行ってきたスマトラ島のアチェ州で、被災を契機に独立派勢力とインドネシア政府の和平合意が成立し、武力紛争が終結した。これは、人やモノや情報などの経路を押さえたものがその地域を独占的に支配するという地理的・社会的構造があったアチェにおいて、被災を契機に国内外からさまざまな人が訪れて支援事業が行われた結果、アチェの人々が域外の人々と結びつく経路が多様化し、経路の独占が意味を持たなくなったためと考えられる。このように、災害およびその後の復興支援を契機に社会の構造が変わり、その社会が被災前から抱えていた課題が解決されることがあることをアチェの事例が示している。
また、災害対応を見ることは、その社会が備える構造を明らかにする。2004年スマトラ沖地震津波や2009年西スマトラ地震などの災害への対応を通じて明らかになってきたのは、インドネシア(特にスマトラ)社会が流動性の高い社会であり、人々は災害に対しても居住場所や住居の形を変えたり生業を変えたりすることによって対応していることだった。流動性を高めることで災害に対応するという考え方は、従来の「元いた場所に戻り、元の職業に戻る」という復興の考え方を根本的に変えるものである。この考え方は、インドネシアだけでなく他の多くの開発途上国にも適用可能であるように思われる。このような「防災スマトラ・モデル」ができれば、それは今後の世界の災害対応のあり方を大きく変えるものとなりうるだろう。
また、「防災スマトラ・モデル」が適用できるのは開発途上国だけでなく、東日本大震災の復興のあり方を考える上でも助けになる部分があるかもしれない。