災害は人々のリアリティに亀裂を入れる。被災者のリアリティは被災しなかった人々のリアリティと大きく異なったものとなる。ただし被災者のリアリティも一様ではなく、被災直後は被災の経験が断片化されている。被災経験を語りあい、個々の経験をつないでいくことで、一つの災害の被災者どうしというリアリティを獲得していく。また、被災しなかった人々も、災害報道などを通じて被災者のリアリティを共有しようとする。災害への対応は、亀裂の入ったリアリティの立て直しから始まる。異なるリアリティをつなぐ媒体が情報である。ただし、災害時には多数派が使いやすい通信手段が優先され、目や耳が不自由な人や外国人への情報伝達をどのように行うかという課題がある。
情報は、言葉の壁や時代の違いを超えてリアリティを伝える手段でもある。そのためには適切なメディアを選ぶ必要があり、メディアに応じた「翻訳」が必要になる。書き言葉だけでなく、伝承として口頭で伝えられたり、歌や舞踊に織り込まれるものもあるし、最近では電子媒体によって画像や映像として伝えることも容易になっている。建築様式や景観のように、一見すると情報の媒体に見えないものでも、それを読み解く方法を知っていれば情報を伝えることがきる。
2004年スマトラ沖地震津波の被災地であるインドネシア・アチェ州のシムル島では、約100年前の津波の経験が「海の水が引いたら高いところに行け」という伝承に織り込まれて伝えられており、津波を受けたにもかかわらず死者がほとんど出なかった。
情報技術は被害や支援活動を把握するうえでも欠かせない。災害時には通常の情報メディアが十分に機能しないこともあり、それを補う手段としてツイッターやフェイスブックなどの個人が発信する情報を収集・整理し、迅速に被害や救援の全体像を把握する方法が模索されている。最近では地理情報の技術が発達しており、個人によって発信される情報を地理情報と組み合わせることで全体像の把握が容易になるものと思われる。なお、インターネット上の情報の多くは数日で削除されて閲覧できなくなるため、それらをどのように収集し、整理して蓄積するかという課題がある。
情報はまた、緊急・復興支援を行う上でも重要である。被災者のリアリティを掴んで支援に反映させるには情報の扱いが重要になる。
国際的な人道支援では、通常は英語によって情報収集が行われる。国際人道支援の業界では関心を向ける分野が決まっており、英語での情報収集はそれに沿って被害を切り取ることになるため、漏れた課題は十分に対応できないことがある。これに対し、現地語で発信される情報には現地社会の関心事が反映されているため、その現地社会にとっての被害のリアリティを理解することができる。このように、何語で情報を集めるかによって、得られる情報の種類や質はかわってくる。
ただし、被災地(被災者)から発信されている情報を「読む」には、語学力だけでなく、地元社会で起こっていることを理解する力も必要となる。東日本大震災では、「東北の人は優しい」「東北の人は我慢強い」という言い方をよく聞く。物資が足りなく、厳しい避難生活を余儀なくされていても、外部からの訪問者に対して「物は足りている」「よく来てくださった」と歓待するという。発せられた言葉を額面通り受け取るだけでは実際に相手が何を考えているか見えてこないということだろう。また、スマトラ沖地震津波の際にも、未曽有の被害を被ったアチェの人々が、外部から訪れた支援者に対して思いのほか明るい表情をしていたと驚かれた。これも、表面だけ見て判断するだけでは実際にどう感じているかわからないということだろう。相手が発するメッセージを適切に受け止めるには、通訳を介してでも言葉が通じることが最も重要だが、言葉がわかれば十分なのではなく、その言葉が発せられた背景を想像できることも大切になる。
研究関心
- 被災地入りした人道支援実務者や報道関係者はどのようにして被害の情報を収集し、それをどのようにして共有して全体像を把握していくのか。スマトラの場合は国際機関と地元政府が協力して支援活動を行う政府・非政府組織から情報の提供を受け、インターネットを通じて共有した。これは国際機関・国際NGOが入る被災地ではどこでも見られる。ただし、それぞれの団体が提供する情報の形式が統一されていないために重ね合わせることができず、被災や支援の全体像を把握するのが難しいという問題がある。
- 被災地では電話が通じなくても携帯電話のショートメッセージ・サービス(SMS)で情報を発信することができる。このような情報は、1つ1つは断片的であっても、それらに位置情報をつけて1枚の地図上で表現することができれば被害と救援の全体像を把握する助けになる。
- 新聞・テレビなどの報道情報はインターネット上でも配信されているが、一定期間が過ぎるとインターネット上から削除されて閲覧できなくなる。インターネット上の膨大な情報の中から特定の情報を収集して蓄積し、後で利用できるシステムは作れないか。
- 外国の災害対応では国際機関や国際NGOが支援活動の中心になることが多く、英語で情報収集が行われる。英語による情報収集では国際社会における人道支援の関心に沿った情報は集まるけれど、それにあてはまらないけれど地元の関心としては重要なものが抜け落ちてしまう。現地語情報を活用して被害と復興の状況を把握するにはどうすればよいか。
これまでの取り組み
災害地域情報プラットフォーム
- 2004年12月のスマトラ沖地震・津波の際に、インドネシア語の一般報道情報を日本語に翻訳してインターネット上で公開することを試みた。
2004年スマトラ沖地震・津波 関連情報
http://homepage2.nifty.com/jams/aceh.html
現地語や現地事情がわからずに被災地入りして救援活動を行う日本人の人道支援実務者に届けることを目指して、通信環境が悪い現地からでもアクセスできるように文字情報を中心に情報を配信した。ただし、調べてみると日本の人道支援の実務者にはほとんど参照されていなかった。その理由を探るため、(1)迅速かつ簡便に情報を収集・整理して見やすく提示する仕組みの開発、(2)防災や人道支援の実務者の関心や考え方の理解の2つのアプローチをとることにした。
- 2006年のジャワ島中部地震の直前にSONYからデジタルカメラで撮影した写真にパソコン上で位置情報を付けるキットが発売され、専門知識がなくても現地で撮影した写真に位置情報を付けることが容易にできるようになった。
自動車で移動しながら写真を撮ることで道路や橋などの被害状況などを容易に伝える可能性がひらけた。ただし、現地で撮った写真を公開して被災や救援・復興の状況を伝えるためには、写真の掲載方法やそのための地図の入手という課題が残った。
- 2007年のベンクル地震では、ベンクルの地図が入手できたため、現地調査の際に撮影した写真に位置情報を付けて地図上で表現する試作版を作成した。
また、現地語情報をもとに被害の情報を把握し、それを地図上で示した。
(地図をクリックすると拡大します。)
この2つを組み合わせることで、一般報道情報と現地で撮影した写真を地図上で表現する可能性が具体的になってきた。
- 2009年、中越地震の被災地で写真やメモを1枚の地図上で表示する「中越地震アーカイブズ」が公開されていることを知り、その仕組みをスマトラに活用できないか検討していたところ、2009年9月に西スマトラ地震が発生したため、「中越地震アーカイブズ」の仕組みに西スマトラ地震のデータを入れた「西スマトラ地震アーカイブス」を作成し、仮公開した。
2009年西スマトラ地震アーカイブス
http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/database/category/40.html
一般報道情報を自動で収集・整理する仕組みをどうするか、また、写真や聞き取り調査メモなどの形態の異なる情報をどのように載せるかは検討中。
- 西スマトラ地震アーカイブス」はまだ開発途上だが、このシステムを使って2004年のスマトラ沖地震・津波の情報を整理したものを仮公開した。
2004年スマトラ沖地震津波 関連記事データベース
http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/database/category/40.html
一般報道情報に加え、業界誌や写真などの情報をどのように盛り込むか、また、地図上で表現できない情報をどうするかなどが課題。また、災害以外の社会経済的指標も盛り込むことにより、災害からの復興と紛争からの復興を同時に地図上で参照できる統合データベースにする可能性を模索中。
現地語のオンライン情報を自動収集して地図上で提示するシステムについて
- 山本博之 2010 「災害対応と情報:2004年スマトラ沖地震・津波の報道記事をもとに」『シーダー』、No.3、pp.24-31。
- 山本博之 2008 「ポスト・インド洋津波の時代の災害地域情報:災害地域情報プラットフォームの構築に向けて」『アジア遊学』、113:103-109。
被災直後の情報の共有
2009年の西スマトラ地震では、被災直後に現地入りした日本の救援隊が、現地に入るとかえって被害と救援の全体像が把握できないためにどこで活動してよいのかわからずに戸惑ったと語っていた。現地に行けば情報が得られるとは限らない。
- 山本博之(編) 2010 『支援の現場と研究をつなぐ──2009年西スマトラ地震におけるジェンダー、コミュニティ、情報』大阪大学大学院人間科学研究科「共生人道支援研究班」。
2006年ジャワ島中部地震では、全国紙は政府や国民の問題点を指摘する傾向があるのに対し、地元紙は被災者がどのように困難を乗り越えていくかの具体的な対策を多く載せる傾向が見られた。メディアの種類によって得られる情報が異なり、災害時には特に地元メディアが重要な役割を果たす。ジャワ島中部地震では、人々が集まる場所に地元新聞が壁新聞を張り出していた。また、地元NGOがコミュニティ・ペーパーを刊行していた。
- 西芳実・山本博之 2009 「災害対応を通じたコミュニティ再編の可能性:2006年ジャワ島中部地震におけるコミュニティ・ペーパー発行の事例から」『日本災害復興学会2009長岡大会論文集』、pp.67-70。