チンタに何が起こったのか?(『再会の時~ビューティフル・デイズ2』)

西芳実 (2016.9.26)

『再会の時~ビューティフル・デイズ2~』
監督:リリ・リザ
2016年/インドネシア/125分

『ビューティフル・デイズ』
監督:ルディ・スジャルウォ
2002年/インドネシア/112分

『ビューティフル・デイズ』と『再会の時~ビューティフル・デイズ2~』(以下、『再会の時』)がどちらも『Ada Apa Dengan Cinta?』を原題に含んで制作・公開されたことの意味を考えたい。直訳すると「Cintaはいったいどうなってしまったのか?」で、Cintaには主人公の名前チンタとインドネシア語の「愛」の2つの意味がかけられている。

『ビューティフル・デイズ』が公開された2002年は、1998年政変でスハルト体制が崩壊してから4年後にあたる。チンタと仲間たちが集まる高校の新聞部の部室やチンタたちの部屋に貼られたポスターには、『Danger Girl』(1998年)や『カードキャプターさくら』(1996年)や『A Bug’s Life』(1998年)などのように1990年代後半のポップカルチャーのものが多い。『ビューティフル・デイズ』には1990年代末という時代の空気が色濃くまとわりついている。

1990年代末といえば、ジャカルタでは1998年5月に大規模な暴動が起こり、中華系の店舗が略奪・放火されたほか、1000人を超える中華系住民が殺害された。中華系女性への集団暴行事件も多数発生し、中華系住民の一部は国外脱出を余儀なくされた。(高校進学が決まったばかりの中華系女性がジャカルタ暴動によりやむなくシンガポールに避難した後の苦難と成功を描いたインドネシア映画に『メリー・リアナ:100万ドルの夢』(Merry Riana: Mimpi Sejuta Dolar、2014年)がある。)その後の政変を経てインドネシアは民主化への道を歩み出したものの、マルク騒乱(1999年1月)やポソ騒乱(1999年3月)のように、宗教や民族が異なる住民集団間の緊張を高める暴動や紛争は2002年に至るまでインドネシア各地で断続的に発生していた。

多様性の中の統一を国是に掲げ、宗教・民族の違いを問わずインドネシア国民としての友愛を育ててきたはずのインドネシアで、住民が互いに憎しみ殺し合い、国民を保護するはずの軍・警察も国民に銃を向けた。この時代状況で「愛はいったいどうなってしまったのか?」と問うことは、社会の亀裂に苦悩するインドネシアに向けて「インドネシアはいったいどうなってしまったのか」を問うことだった。

『ビューティフル・デイズ』でランガの父ユスリザルが政府を批判したことをきっかけに様々な脅威にさらされて家族がばらばらになり、ついにインドネシアを去らざるを得なくなったことは、いわれない憎悪が向けられたときには逃げることも1つの処方箋であることを示している。そのためにランガとチンタは離れ離れになるが、詩を通じて心を通わせた2人にはすでに詩の力により心を強くする術が与えられている。孤独なランガを励まし、ランガへの思いをチンタが深めていくきっかけになったのがインドネシア近代文学の先駆者であるハイリル・アンワルの詩「おれ」だったことは、苦難を乗り越える方策はインドネシアの過去の経験の中から得られることを示している。

では、2016年の『再会の時』では、インドネシアのいまが直面するどのような課題が問われ、それにどのような処方箋が示されているのか。その鍵は、長くインドネシア国外にいたランガとインドネシアの繋がりの描かれ方にある。ランガはニューヨークでの歳月をふりかえり、身体はインドネシアから遠く離れていたが心は常にインドネシアとともにあったと語り、そのためインドネシア大統領選挙にもアメリカから投票していたと話している。ランガにとって、自分らしさを失う理由は異国にいることではなく、チンタとの繋がりを失ったことにあった。

『再会の時』は、ジャカルタ、ニューヨーク、ジョグジャカルタの3か所を舞台とし、冒頭でニューヨークのランガとジャカルタのチンタの暮らしが交互に紹介される。ランガはニューヨークでの暮らしに慣れた様子で、ニューヨークの景色のなかに溶け込んでいる。チンタの暮らすジャカルタは近代的な大都市に成長し、その様子はニューヨークと比べても遜色ない。ここには、インドネシアの内と外の境界が溶け、インドネシアの若者にとってはジャカルタにいてもニューヨークにいても変わりがなくなっている様子が見える。

『再会の時』が2人の再会の場をジョグジャカルタに設定し、古都の風景とそこを拠点に世界水準で活躍する現代アーティストの現場をめぐらせることで2人の関係を修復させたのは偶然ではない。チンタとランガのジョグジャカルタめぐりはジョグジャカルタの観光スポットめぐりでもある。ランガの父が好きな場所だった遺跡ラトゥボコ王宮跡。プントゥック・ストゥンボの丘の上に建てられた「鶏の教会」。『再会の時』には、ジョグジャカルタを拠点に活動するエコ・ヌグロホ、ジョグジャカルタのヒップホップの立役者マルズキ・ムハンマド、1965年の9・30事件をきっかけに離れ離れにならなければならなくなった恋人を題材にした『プラヤからの一杯のコーヒー』を上演したペーパームーン人形劇団、コーヒー・クリニックを経営するコーヒー・アーティストのペペンなど、ジョグジャカルタを拠点に活動する実在のアーティストたちが登場する。プロデューサーのミラ・レスマナは、これらのアーティストに出演を依頼した理由を「国際的な水準に達していながら地に足をつけて活動しているから」と説明した。

『再会の時』は、グローバル化が進むなかでインドネシアと世界との境界が不明瞭になりつつあるという状況に対し、インドネシアとの結び付きを維持したまま世界で勝負する道を示し、そうである限り拠点はインドネシアでなくてもよいというあり方を示している。