マレーシア映画文化研究ユニット
マレーシア映画文化研究ユニットは、マレーシア映画を観て愉しむとともに、マレーシア映画を題材に監督の想いやマレーシア社会が抱える課題を考えることを通じて、マレーシア映画の「おもしろさ」を共有し、映画を介してマレーシア社会について理解を深めることを目的とする研究ユニットです。
2009年に発足したマレーシア映画文化研究会は、研究対象を東南アジアに拡大して2014年に混成アジア映画研究会になりました。マレーシア映画文化研究会の活動は混成アジア映画研究会のマレーシア映画文化研究ユニットに引き継がれています。
メンバー
山本博之
篠崎香織
活動紹介
『タレンタイム~優しい歌』
マレーシア映画ブックレット
編集協力
マレーシア映画紹介
マレーシア社会
日本ではマレーシアのことがあまり知られていません。マレーシアには内乱・暴動や日本人が巻き込まれる事件・事故がほとんどなく、一般のニュースでほとんど取り上げられないためです。ただし、日本とマレーシアの関係は決して薄いわけではありません。観光客や修学旅行生のような短期訪問者も、留学生、企業駐在員、定年後のシニア市民のように各世代にわたる長期滞在者も、毎年多くの日本人がマレーシアを訪問しています。
マレーシア社会はいろいろな意味で日本社会と対照的です。気候や衣食住、そして多民族社会であることも大きく違います。これらの違いはマレーシアを訪れればすぐに気づくでしょうが、マレーシア社会を見慣れてくると、社会における宗教の影響力や学校や職場での上司や同僚との関係など、社会のあり方についても日本とかなり違うことが見えてくるでしょう。
一般に、人は、異文化に出会ったとき、自分が馴染んでいる社会との違いに目が向きがちになります。確かに違いを見つけることは大切ですが、違いばかり強調すると共通性に目が向かなくなります。マレーシア社会は多民族・多宗教・多言語が混在するユニークな社会で、そのため日本社会では見られないこともたくさん見られますが、同時に、高齢化、外国人移民、都市と地方の格差、教育と受験など、日本や他の社会と似たようなことがらも見られます。
マレーシア映画
「マレー映画の父」と称されたP.ラムリーの死後、マレーシアで制作される映画はマレー語によるマレー人のための映画ばかりとなりました。マレーシア社会の現実を反映させて多民族性や多言語性を積極的に盛り込むと「マレーシア映画ではない」と判断されてマレーシア国内で上映の機会が与えられないこともありました。
これに対して、西暦2000年頃から「マレーシア映画の新潮流」と呼ばれる若手の映画監督が多く活躍するようになりました。新潮流に属する監督たちに共通しているのは、マレーシア国内の市場には期待せずに映画を制作したことです。自分たちの関心に沿った映画を作れば「マレーシア映画ではない」と言われてマレーシアで上映されないかもしれないし、もし上映されたとしても十分な観客数が期待できないためです。外国の映画祭に出品することを目標にしたため、たとえ監督の個人的な経験やマレーシア社会に特有のできごとが素材にされていたとしても、マレーシアという固有の土地に由来する課題は脱色されて人類普遍の課題として表現され、世界の人びとが観てわかるような形で映画が作られました。
このように、マレーシア新潮流作品は、マレーシアのことを知らなくても内容を十分に理解して楽しむことができるように作られています。その上で、マレーシア社会について理解した上で映画を読み解くことにより、マレーシア社会が抱える課題とそれへの取り組みを浮き上がらせることができます。いわばマレーシア人の目をもってマレーシア映画を観るということです。この研究ユニットでは、そのように映画を読み解くことで、人類社会の普遍的な課題として描かれた課題が現実のマレーシア社会でどのような形で表れているのかを考えます。それが私たちの考える映画の「おもしろさ」だと思うためです。
世界各地の文化が集まるマレーシア社会を理解するには、中国世界、インド世界、イスラム世界をはじめとする世界各地のことを知る必要があります。「マレーシアがわかれば世界がわかる」を合い言葉に、マレーシアと直接・間接に関係のある各地域・各分野の専門家が集まってマレーシア映画から世界を読み解こうとするのがこの研究ユニットです。