女夜叉と空駆ける馬 「12人姉妹」が映す東南アジアの風土・王・民

(シンポジウムとディスカッションの様子)

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「12人姉妹」は、東南アジアのラオス、カンボアジア、タイなどに国境を越えて広く伝わり、人々の暮らしに浸透している民話である。子どもから大人まで誰もが知っている民話の1つで、国によって内容は少しずつ異なるが、教科書に収録されたりテレビドラマや映画やアニメーションのようなポピュラーカルチャーの題材になったりして、形を変えながら語り継がれてきた。

物語の基本的な筋はラオス、カンボジア、タイでおおよそ共通しているが、細部では異なっている。また、登場する人名や国名も以下のように異なっている。

ラオス
題名:プータオとプーナーン
主人公(男):プータオ(プッタセーン)
主人公(女):プーナーン(カンヒー)
女夜叉:スンタラー
人間の国:インタパッター
夜叉の国:ワイニャラッパティ

カンボジア
題名:プティサエンとニアン・コンライ
主人公(男):プティサエン(ルティサエン)
主人公(女):ニアン・コンライ
女夜叉:サンタミア
人間の国:エンテアパトボレイ
夜叉の国:タラワン

タイ
題名:プラロットとメーリー
主人公(男):プラロット(ロットセン)
主人公(女):メーリー
女夜叉:サンタラー(サンタマーン)
人間の国:ヤーシット(パイサーリー)
夜叉の国:コッチャプラ(パヤーレー)

シンポジウム

ラオス、カンボジア、タイをそれぞれ専門とする地域研究者からそれぞれの国における「12人姉妹」の語られ方が紹介された。

ラオス:山とともに語り継がれる物語(橋本彩)

ラオスは現在でも識字率が低く、知は書物の形ではなく、葉などに書かれ、それを僧侶が読み聞かせることなどによって人々に伝えられていた。基本となる物語は共通でも、読み人によってその時代やその地域の人々の関心に合わせた話題を織り込んで語り伝えられていた。

ラオスの「12人姉妹」は「プータオ・プーナーン」(男山、女山)のタイトルで広く知られている。ルアンパバーン市では、市内からメコン川を挟んだ対岸の山が、「12人姉妹」の主人公であるプッタセーンとカンヒーになぞらえて、それぞれ「男山」「女山」と呼ばれている。このほかにもラオスには「12人姉妹」もの物語にちなんだ場所が数多く存在し、「12人姉妹」の物語はそれぞれ具体的な土地に結びつけて語り継がれている。ただし、「男山」と「女山」の位置関係についての認識が時代によって変わってきているように、「12人姉妹」の語られ方も時代とともに変化が見られる。

ラオスでは国産の映画産業が十分に発展していないために国産の『12人姉妹』の映画は作られていないが、「12人姉妹」の物語は教科書に採録されるなどにより国民に広く知られている。ルアンパバーンの新年祭りには人々が思い思いの仮装をして参加するが、「12人姉妹」の女夜叉の仮装は人気が高く、毎年見られるほどの定番の仮装になっている。興味深いことに、新年祭りの女夜叉の仮装はタイの「12人姉妹」の映画に出てくる女夜叉の衣装を参考にしたと思われるものが多く、映画を通じた物語文化圏が垣間見られる。

ラオスの「12人姉妹」には、かつてルアンパパーンを都として建国されたルアンパパーン王国と山間部に住み呪術的な力を持つと見られていた先住民族との関係を描いたと理解することもでき、建国神話の側面があるという指摘もある。また、ラオス人研究者カムパン・ウィラチットの研究によれば、12人姉妹にまつわるすべての登場人物が鬼として描かれ、鬼の世界の物語として語られているものもある。

カンボジア:女夜叉の娘はモダンガール(岡田知子)

カンボジアの「12人姉妹」は、プティサエンとニアン・コンライ(コンライさん)の物語として語り継がれている。カンボジアでも「12人姉妹」は山と結び付けられて語られており、コンポン・チナン州には「12人姉妹」の登場人物の名前にちなんでコンライ山と呼ばれる山がある。

カンボジアでは昔から古典物語として知られていた。古典物語の『プティサエン』は、708連からなる韻文による伝統的な定型詩で、貝葉(ばいよう)から写し取ったもので、制作年代は不明。かつて学校で教えられていた。現在でも「12人姉妹」は教科書に使われており、高校2年生の国語教科書では親への恩返しの大切さを確認する設問が多く添えられている。このほか、伝統的な大衆劇や伝統弦楽器による弾き語りにも「12人姉妹」を見出すことができる。漫画・絵本やカラオケビデオなどにも使われ、映画はリー・ブンジム監督以外の作品もある。

映画『12人姉妹』を作ったリー・ブンジム監督(1942~)は、1960年代半ばから1970年代初めのカンボジア映画の黄金期を担った監督の1人。1968年に『12人姉妹』を制作した。当時、カンボジアは1953年にフランスから独立し、国家元首ノロドム・シハヌークのもと、王制による国内統一と国民の近代化を図った時期だった。

女夜叉であるサンタミアとその娘コンライのファッション、夜叉の国にあるものの機械化の様子、そしてシングルマザーのサンタミアから離れて育ち、自らの意思で自分と自分の国の運命を決めるコンライの姿には、当時のカンボジア社会のモダンな社会への期待を見ることができる。

タイ:「12人姉妹」伝承と特撮映画(平松秀樹)

タイの「12人姉妹」は、もともと種々のモチーフがあったものが『50のジャータカ』に蒐集され、さらに伝播していったと考えられる。『50のジャータカ』とは300~500年前に現地の僧侶が制作した。もともとあった「12人姉妹」の民間伝承を取り入れ、当時の僧侶が説法のために作ったと考えられる。

現在のタイでは「12人姉妹」の伝承に複数のバージョンが見られ、また、映画、テレビドラマ、アニメ、絵本などの様々な形で語り続けられている。テレビドラマやミュージックヴィデオの真似を一般人が動画で投稿したりすることも見られた。

1981年版の「12人姉妹」である『プラロットとメーリー』は、日本で特撮を学んだソムポート氏が設立したチャイヨー・プロダクションの制作である。特撮場面を多く使っていることに加え、オリジナルの物語との際立った違いは、乳房のある優しい男夜叉が登場し、テーワダー(神人)の助けで、末の妹の息子ロットセンを助けるところである。神人であるテーワダーを上半身裸の人間味のある中年男性として描いたり、青年となったロットセンをほとんど自分では何もせずテーワダー頼みの若者として描いたりするなど、現代的なテイストが施されている。

ディスカッション(司会:山本博之)

「12人姉妹」の作品世界を理解するうえでは、各作品の原型となった物語(オリジナルの物語)と、個別の作品が作られる際にオリジナルの物語に加えられた創意工夫のオリジナリティ(作品のオリジナリティ)という2つの部分を見ることになる。

「12人姉妹」のオリジナルの物語の部分に関して、「12人姉妹」の物語からは東南アジア(特に大陸部のラオス、カンボジア、タイ)における森の重要性がうかがえる。東南アジアでは異国どうしが森を通じてつながっており、異人が森を越えて互いに行き来する状況で人々が暮らしている。姿かたちや言葉や風俗習慣が異なる人たちと隣り合わせで暮らしている混成的な風土の中で、国や社会の仕組みを作るうえで、仏教的な因果応報の考え方が役立てられているさまを想像することができる。これが「12人姉妹」のオリジナルの物語を形作っている。

映画を含む各作品は、それが作られた地域や時代の中で、それぞれ独自の作品のオリジナリティを持っている。カンボジア映画『12人姉妹』では、モダン性に作品のオリジナリティがあらわれてる。衣装や設備にモダンな要素が取り入れられているだけでなく、女性の生き方という点にもモダン性を見て取ることができる。

タイでは、「12人姉妹」は、映画やテレビドラマやアニメーションなどのように、形態を柔軟に変えて様々な作品に取り入れられており、多様な形態を見ることができる。その中でもソムポート監督の『プラロットとメーリー』は、特撮技術を用いることで、想像上の世界を目に見える映像にして示した。オリジナルの物語から大きく変えて付け加えられたものとして、家来の夜叉とテーワダーの描かれ方がある。夜叉は最後に打倒されず、ロットセンたちと再会を約束して森の奥に去っていく。

Q&A

Q&Aでは会場の参加者から多くの質問やコメントが寄せられ、活発な討論が行われた。以下では、オリジナル/オリジナリティに関わる議論を中心に、筆者なりの解釈も交えながら、いくつかの質問とそれへの応答を紹介したい。

「12人姉妹」のオリジナルの物語
「12人姉妹」の物語は、文字が広く使われるようになる前に口承により語り伝えられて広まっていた。後の時代になって各地で文字で採取され記録されたものが現れるようになるが、文字で採取・記録された最初のものを見つけたとしても、それがオリジナルの物語であると断定することはできない。文字がもたらされる前から語り継がれていたもののうち特定の時代の特定の地域のバージョンが文字で記録されたにすぎないため、文字で記録されたものを並べてそれがオリジナルの物語かを考えることにはあまり意味がない。

日本やフランスで見られる物語との共通性
「12人姉妹」に日本やフランスの説話と共通する要素が見られる。地域や時代を越えて民間説話に見られる共通要素を検討することで、世界規模で見たときに人間が物語を語り伝える営みの中にそれらの要素が存在することの意味を考えることへの関心が示された。共通要素を踏まえたうえで日本やフランスと比較することで、東南アジア的な物語の特徴が抽出されるのではないかという関心である。

東南アジアらしさはどこにあるか
カンボジア映画『12人姉妹』やタイ映画『プラロットとメーリー』は、説話のうち架空の人物に実際の人間を役者として配役して実写で描いている。実写映像で示すことにより、言葉だけで語られるのと異なり、姿かたちが具体的に目に見える形で示される。例えば、夜叉の国の家臣たちが浅黒く背丈が高く表現されているさまが見て取れる。これらの作品が作られた当時、観客の人たちはスクリーンに映る夜叉を見て具体的な民族をイメージしたりしたのかという質問に対し、タイでは夜叉の国の人々はクメール人のことだという理解がされていると回答があった。ある時代のある地域で作られた作品を理解するうえで、それが作られた時代と地域に暮らす人々にとって、その作品がどのような文脈の上でどのように理解されて受け止められたのかを知ることは、当時の社会を理解することにつながる。映画を見て「東南アジアらしさ」に触れるといったとき、そのような作品を生み出してそれを鑑賞した社会のあり方を理解するという姿勢もあるように思われる。

参考上映

『プラロットとメーリー』
タイでは「12人姉妹」に基づく映画が繰り返し作られてきた。タイ映画『プラロットとメーリー』は、そのような作品の中でも、日本で特撮技術を学んだソムポート監督の作品であることに特徴がある。『プラロットとメーリー』は、ソムポート監督が日本で学んだ特撮技術を駆使して民話の世界を実写映像で描いて見せた。日本語字幕つきで日本初公開となった。

『12人姉妹』
カンボジア映画『12人姉妹』は、ポルポト時代以前にカンボジアで制作された映画の中で、内戦時代の映画破棄を免れ、奇跡的に残されていた貴重なフィルムである。この映画がタイで上映された際に作られたタイ語音声版のフィルムが保存されていた。このたび、リー・ブンジム監督からカンボジア語音声の提供を受けて、タイ語版の画とカンボジア語の音声を合わせた最長版の上映が可能となった。内戦以降では、カンボジア語の『12人姉妹』で最長版の上映はおそらく世界初であろう。カンボジア映画なのに「カンボジア語版」と書いているのはこのような背景がある。

リー・ブンジム監督の『12人姉妹』は、カンボジア映画史で黄金時代と言われる1960年代に最も成功した作品の1つで、今でも多くのカンボジアの人々に絶賛されている。今回の上映では「カンボジア語音声版・日本初上映」と宣伝してある。カンボジアの映画なのになぜわざわざカンボジア語音声版と書いているのか。カンボジアは悲劇的な歴史を歩んできた。この映画もその悲劇に巻き込まれ、現存しているフィルムはタイ語版しかなく、これまで日本やドイツなど海外で上映されてきたのはタイ語版だった。今回リー・ブンジム監督が持っていたカンボジア語音声を入れ、世界で初めて日本で上映されることになった。タイ語版とはセリフが異なるところが多く、音楽もほとんど異なっている。この映画のフィルムがたどってきた歴史はカンボジアの現代史そのものであると言える。

なお、今回のカンボジア語版『12人姉妹』の上映は映像アーキビストの鈴木伸和さんのご尽力があって実現した。鈴木さんは、視聴覚資料の保存の専門家でカンボジアのボパナ視聴覚リソースセンターに勤務した経験もあり、ダヴィ・シュー監督、ソト・クリカー監督などカンボジアの映画人とのつながりも深く、カンボジア映画界の陰の立役者であるとも言える。そもそも『12人姉妹』のフィルムをデジタル化したのも鈴木さんだった。プノンペン郊外にお住まいのリー・ブンジム監督から上映許可をとることに始まり、字幕作成の技術的なアドバイス、プノンペンの映像プロダクションとのやりとり、映像チェックなど、2か月という短い期間の中で膨大な時間と手間をかけてほとんど手弁当で助けてくださり、鈴木さんなくしてはカンボジア語版『12人姉妹』の上映は実現できなかった。この場をお借りして鈴木伸和さんに深くお礼申し上げます。