不即不離―マラヤ共産党員だった祖父の思い出

山本博之 (2017.10.21)

Ari: My Life with a King
監督:ラウ・ケクフアット
2016年/台湾/84分

『不即不離―マラヤ共産党員だった祖父の思い出』は、マレーシア出身で主に台湾を拠点に活動するラウ・ケクフアット監督の長編第一作だ。ラウ監督の実際の家族を題材として、マレーシア(マラヤ)の独立の歴史、そしてアジアの現代史について、これまでほとんど語られてこなかった側面を描いている。

マレーシアという国のことは聞いたことがある人が多いだろうが、マラヤという地名は聞いたことがない人もいるかもしれない。マレーシアは、1957年にイギリスから独立したマラヤ連邦と、当時イギリスの植民地だったボルネオ島の一部があわさって1963年にできた国だ。(このときシンガポールもマレーシアに加わったけれど1965年に分離独立した。)現在のマレーシアの一部は、以前はマラヤと呼ばれる国だった。そのマラヤで結成されたのがこの映画で語られるマラヤ共産党だ。

マラヤ共産党は、南洋共産党を前身として、イギリス領だったマラヤで1930年に結成された。マラヤの解放を掲げたマラヤ共産党の幹部は植民地政府によって逮捕されたが、1941年12月に日本軍がマラヤに侵攻すると、植民地政府はマラヤ共産党の幹部を解放し、マラヤ共産党はマラヤ人民抗日軍を組織してイギリス軍と協力して抗日ゲリラ戦を戦った。

1945年に日本の敗戦によって戦争が終わると、イギリスはマラヤに戻って植民地統治を再開しようとしたため、マラヤ共産党はイギリスを敵としてマラヤ解放の戦いを継続することになる。植民地政府は1948年にマラヤ全土に非常事態宣言を発令し、これがマラヤ連邦独立後の1960年まで続く。この間にマラヤ共産党は植民地政府によって非合法化され、1957年にマラヤ連邦が独立した後はマラヤ連邦政府によって非合法組織とされ、1963年にマラヤ連邦がマレーシアになった後もマレーシア政府によって非合法組織とされた。

マレーシア政府とマラヤ共産党は1989年に和平協定を結んだが、マレーシアでは現在でも公の場でマラヤ共産党が肯定的に語られることはない。マレーシア映画を例に取れば、マラヤ共産党の残虐さとそれに対峙する警察の勇敢さを強調した『ブキット・クポン』(原題Bukit Kepong、ジンス・シャムスッディン監督、1981年)は劇場公開され、現在でもマレーシア各地の学校で上映されているが、『最後の共産主義者』(原題Lelaki Komunist Terakhir、英題The Last Communist、アミール・ムハンマド監督、2006年) や『新村』(英題The New Village、ウォン・キウリット監督、2013年) のように、マラヤ共産党の肯定的な側面を捉えた作品はマレーシアで上映が認められていない。『不即不離』も同様に、インターネット上での公開を除けばマレーシアでは上映されていない。

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マラヤ共産党やマレーシアの独立の歴史については別の機会に譲ることにして、ここでは『不即不離』の家族の物語の側面について紹介したい。

『不即不離』の物語の中心は、形の上ではラウ監督のおじいさんだが、映画で実際に一番多く描かれているのはラウ監督の父親だ。映画の冒頭で、ラウ監督は父親と9年間も交流がなかったと言い、それはこの映画で2分間に当たると言う。それに対して、この映画では、監督の父親が家の外で椅子に座ってカメラ越しにラウ監督と話をしている場面が5回に分けて映され、話している時間はあわせて4分33秒ある。カメラがまわっていないところでも話をしただろうし、ジョホールバルの家からシティアワンの実家まで車で6~7時間かかる間も車内で話をしただろうから、この映画制作はラウ監督が個人的なことを含めて久しぶりに父親とじっくり話す機会になったはずだ。

では、この映画でラウ監督の父親はどのように描かれているのか。印象的なエピソードを2つか3つ紹介したい。

父親が子どもの頃、近所の悪ガキたちにいじめられてゴム園の中を泣きながら走って逃げたという話がある。幼かった父親にとって、ゴム園とは母親が毎朝仕事に行く場所だった。いわば、ゴム園はラウ監督の父親にとって母親の象徴のようなものだったのだろう。1人ぼっちの父親がゴム園の中を泣きながら走っていったのは、母親の懐に飛び込もうとする気持ちの表われだったのだろう。

では、ラウ監督の父親の自分の父親に対する気持ちはどうだったのか。監督の父親は、自分の父親の記憶は全くないと言い、父親が欲しかったかと尋ねられても答えをはぐらかす。しかし、見知らぬ大人にお願いして映画館に入れてもらった話を語るとき、映画を観て楽しかったという話よりも、手をつないで実の親子のようにして映画館に入ったという話をしているときの方がずっと楽しそうな顔をしている。子どもの頃に映画館によく行っていたのは、もしかすると、映画を観るよりも父親代わりを探しに行っていたのかと思えるほどだ。

嬉しそうな顔と言えば、監督の父親が自分の母親(監督の祖母)とずっと一緒にいたので母親が歌っていた歌を覚えたという話をしているときも、父親はとても嬉しそうな顔をしている。同じ歌を歌うというのは、長いあいだ一緒に過ごしたという親密さを示している。監督の父親に限らず、この映画には人々が一緒に歌を歌う場面が何度も出てくる。直接の知り合いでない人どうしが同じ歌を歌っている場面もある。

この映画では「トラン・ブーラン」 というラブソングがいくつかの異なるバージョンで流れる。これは現在のマレーシア国歌のもととなった曲で、マレーシアに馴染みがある人は、この曲を聞くとマレーシア国歌を思い浮かべる。オープニングとエンディングにこの歌が流れるということは、この映画は、国歌で始まって国歌で終わっているという意味で、とても愛国的な映画だ。ただし、そこでかけられているのは現在のマレーシア国歌ではなく、ラブソング・バージョンだ。神聖なる国家をラブソング・バージョンでかけたことは、マレーシアの映像検閲官の気持ちを逆なでしたことだろう。しかし、異なるバージョンの「国歌」が流れることで、国を想う気持ちは同じでも国を愛する方法は人それぞれでよく、それでもみんなマレーシアの国民だというメッセージが伝わってくる。

このことの背景には、国民の多数派と同じ考えでないと正真正銘の国民として認められないのかという問いがある。この問いに関連して、映画の最後で、監督の父親がゴムの林の中で「自分はいまどこにいるのかわからない」と言う場面がある。これは、実際には、かつて自分が育った場所の様子がすっかり変わってしまって今どこにいるのかわからないほどだという意味だ。ただし、この映画の文脈に照らせば、自分がどの国に思いを寄せればいいのかわからないという意味にも受け取れる。

監督の祖父は家族を蔑ろにしてマラヤの解放の夢に賭けたけれど、マラヤ(およびそれを引き継ぐマレーシア)の国や社会が祖父の思いをきちんと受け止めなかったため、その子どもである監督の父親の世代は、自分がマレーシアで正真正銘の国民扱いされていると思えず、マレーシアにいても居場所がわからないと感じている。

では、その子ども、つまりラウ監督の世代はどうか。マレーシアにいても自分の居場所がわからないと言う父親と違い、ラウ監督は台湾に活動の拠点を置いている。もはやマレーシアには自分の居場所ははないと見切りをつけて、マレーシアから外に出てしまったということだろうか。

このことを考えるため、もう一度、この映画で繰り返し流れる歌に目を向けてみたい。冒頭の「トラン・ブーラン」が流れる場面で、明かりのようなものを高く揚げている人たちが映る。亡くなった人を弔う提灯のようだ。革命のために斃れた人たちへの弔いの物語の幕開けを予感させる映像だが、それと同時に、空に高く月が上がっていくようにも見える。

月と言えば、エンディングで流れるハワイアン・バージョンの「マムラ・ムーン」(マムラの月)の歌詞は、恋人に去られた私には月のほかに何もなく孤独だけれど、一途な私のもとにまた恋人が戻ってくる予感がするという内容だ。「一途な私」は、この映画で紹介されたような、マラヤの革命と独立という理想に身を投じた人々と重なる。今はマレーシアの国や社会から引き離されて孤独な思いをしていても、中国で文革時代の名誉が後に回復されたように、マレーシアの国と社会にまた迎え入れられる日が来るはずだという意味が込められているように感じられる。

映画や歌に月が出てくるときは、ほかに何もないという意味で孤独の表現として使われることが少なくない。しかし、月に他の意味を読み解くこともできる。月は空に毎晩上ってくる。月を見ているあなたが1人ぼっちだとしても、どこかほかの場所で、ほかの人たちも同じ月を見ているはずだ。だから、空に月が出る限り、世界のどこかにあなたと同じ月を見ている人がいるし、月を見ながらあなたのことを思っている人もきっといるはずだ。

『不即不離』では、マラヤ共産党の元ゲリラ兵が、カメラに向かって「今の若者たちのことを我が子のようだと思って見ている」と言う。この発言は、この映画を見ている今の若い人たちに向けられた言葉のようでもあるが、直接的にはカメラを向けているラウ監督に向けられた言葉だ。この場面では、ラウ監督は自分を元ゲリラ兵たちの子どもだと位置づけている。それによって間接的に、かつてマラヤの解放のために勇敢に戦った人たちの子どもであり、いまはマレーシア内外の各地にいる人たちの子どもであると自分を位置づけている。先の問いに照らせば、マレーシアの中にいるか外にいるかは重要な問題ではないのだというラウ監督の思いが伝わってくるように感じられる。